ぷらぐど庵

繋がることもある

妻(まきえ / strahl )が旅立ったことを夫(よっこい / yokkoi )がお伝えします。

 2023年4月26日に妻(享年50歳)が他界しました。

 静かに眠るように、あまり苦しまずに旅立てたようです。長年苦しんでいましたので、そうであって欲しいです。
 私よりも若いのに、悔しくて悲しいです。

 妻は、パソコン通信時代は「まきえ」、インターネットが流行り始めた頃から「 Strahl 」と名乗っていました。 mixitwitter ( @strahl )、 FC2 ブログ(「 Unbenannt -名称未設定-」 strahl72 )に生きてきた証があります。これらには何もせず現状のまま残しておきます(管理側から何か言われたら対応します)
 ざっと眺めたところ、私とは交友のない方々がたくさんいらっしゃいます。その方々にどうやってお知らせしたらいいのか分かりません。このエントリーが届くといいのですが。楽しかったことだけ思い出していただけるといいのですが。

 妻と楽しく接していただいた皆様、本当にありがとうございました。

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 ここから先は余談となります。

 妻との出会いはパソコン通信でした。
 Nifty-Serve のフォーラム FMACBG の会議室「 Mac で語ろう」で見つけました。私がデビューした3年後くらい、1996年でしょうか?
「なんか、荒々しいのが来たぞー(^^;」
と思いました(笑)
 車好きの貴重な女子、いや、ネカマかも知れない(爆)と思いつつ、ほぼ同じ Macintosh を使ってることを足掛かりに攻めていった記憶があります。
 長くなるので端折ります(面白い話もあるので、気が向いたらあらためて書きます)が、お互いに惹かれあって、1998年に結婚しました。

 結婚後は面白かったり面白くなかったり、平均的に過ごせていたと思います。
 可愛い娘も授かりました(^_^)

 妻が難病にかかっていると判明したのは20年ほど前のことでした。
 2005年には障害者手帳が発行されました。車椅子が無ければ移動が難しくなりました。
 10年くらい前に電動ベッドが家に入りました。訪問介護をお願いしました。
 6年ほど前に誤嚥性肺炎を起こし緊急入院となり、以降は病院で暮らすことになりました。難病の症状が進行し、訪問介護では責任を持って対応できない状況となってしまったのです。

 正直なところ、普通の姿で家に戻ってこれないことは理解していました。
 時々、普通に立って歩いて話してる妻が部屋にいる。そんな夢を見ました。
「元気じゃん」
 夢だよ。

 最近になって病院の面会条件が緩くなってきました。しかし、意思疎通に時間がかかるので、妻への負担を考えて控えめにしていました。看護師さんから話を聞く限り、容態は安定していました。こんなことになるとは誰も想像してませんでした。
 昨年6月に私の父が、今年1月に私の母が他界したことは話せていません。あちらで会って「??」となっていることでしょう(^^;

 葬儀場では妻が好きだった Gamma Ray のアルバム(どれが好きだったかは分からなかった)「 Land of The Free 」を BGM として流してもらいました。葬儀場で流れる音楽じゃないぞ(^^;と、ちょっと笑ってしまいました。


 さよなら。
 今までありがとうね。

 またね。


 悔しいよ。